[書評]縄文の豊かさと限界
おすすめ度:★★★★☆(縄文時代の実像がわかる入門書)
縄文時代は1万年以上続きました。
文字がなかったことは広く知られていますが、他の地域では普通に出土している壁画や絵画が見つかっていないのも、特異な点です。
ただし文化的に遅れていたのかといえば、必ずしもそうではありません。たとえば三内丸山遺跡では直径1メートルの巨木を柱として用いた建物跡が出土しており、巨木を伐採するための道具や運搬技術、建築のための測量技術を有していた点で先進的だったといわれています。
文字も絵もなかったのに、どうやって技術を確立したのでしょうか……?
まあおそらく絵については土器や石版に刻み込む習慣がなかったので風化してしまったのが真実でしょうが、そうした習慣がなかった事自体、絵というものに対する価値観が現在とは異なっているようです。
一方で、縄文土器は装飾に富んでいます。
あの独創的であり非実用的なフォルムには唯一無二の個性があります。
ひとくちに縄文時代といっても、1万年のなかの様々な時期、様々な地域があるので、そう簡単にはひとくくりにできません。
本書は、縄文土器、人口動態、食糧といった観点から縄文の社会の実態を明らかにする書籍です。
しかし、土器が実際に使用されるようになったのは日本列島の南方からでした。特に九州南部では土器の使用の痕跡が大量に発掘されています。
遅れて技術が伝わった南方でなぜ先に土器が使用されるようになったのでしょうか。
それは生活スタイル、さらにはその背後の気候変化が要因です。
土器は重くて運びづらいので、長い距離を運搬するには向いていません。
たとえば狩猟民族は獲物を追って移住を繰り返します。そうした人々にとって土器は重くて使いづらいものなのです。
土器が普及するには、一つの地域に定住して、土器を持ち運ばなくて済むような生活スタイルが必要でした。そして、一つの地域で食糧を生産し続けるには農業が必要です。
縄文時代初期は気温が低く、日本列島は農業に適した気候ではなかったのですが、気候の温暖化により日本列島の南方から農業に適した気候へと変化していきました。
結果、土器の生産技術があり、なおかつ定住生活が可能になった最初の地域は九州南部でした。
このことにより土器が南方から普及していくことになったのです。
技術があっても環境が整っていなければ普及しない、というのは現代にも通じる話ですね。
現代風にいえば、ニーズがあってはじめて技術が人々の役に立つ、というわけです。
青森県の三内丸山遺跡周辺ではシカやイノシシを捕り尽くしてしまったらしく、ウサギやムササビのような小動物ばかりが食べられていたようです。
また、東日本各地では従来は調理が楽なクリが食べられていたのですが、縄文時代の後期になると手間のかかるトチの実の調理の痕跡が多く出土しています。トチの実を多く食べるようになった理由は分かりませんが、クリの林を増やしていけば食料が豊かになるという恵まれた状況に行き詰まりが訪れたと見られています。
東日本の人口減少の件以外にも、興隆と衰退があります。
また、文字や絵といった資料がなく謎が多い点で想像をかきたてられます。
本書はわずか95ページのなかにここまでで触れた以外の様々なトピックを濃縮しています。
さまざまな時期、さまざまな地域の縄文時代の実像が見えてきます。
中学や高校の日本史教科書よりも一歩詳しい内容を知ることができる入門書として良書といえます。
縄文時代は1万年以上続きました。
文字がなかったことは広く知られていますが、他の地域では普通に出土している壁画や絵画が見つかっていないのも、特異な点です。
ただし文化的に遅れていたのかといえば、必ずしもそうではありません。たとえば三内丸山遺跡では直径1メートルの巨木を柱として用いた建物跡が出土しており、巨木を伐採するための道具や運搬技術、建築のための測量技術を有していた点で先進的だったといわれています。
文字も絵もなかったのに、どうやって技術を確立したのでしょうか……?
まあおそらく絵については土器や石版に刻み込む習慣がなかったので風化してしまったのが真実でしょうが、そうした習慣がなかった事自体、絵というものに対する価値観が現在とは異なっているようです。
一方で、縄文土器は装飾に富んでいます。
あの独創的であり非実用的なフォルムには唯一無二の個性があります。
ひとくちに縄文時代といっても、1万年のなかの様々な時期、様々な地域があるので、そう簡単にはひとくくりにできません。
本書は、縄文土器、人口動態、食糧といった観点から縄文の社会の実態を明らかにする書籍です。
土器の生産技術は北方から伝わったのに、使用が普及したのは南方からだった
縄文時代、土器を生産する技術は日本列島の北方から流入しました。しかし、土器が実際に使用されるようになったのは日本列島の南方からでした。特に九州南部では土器の使用の痕跡が大量に発掘されています。
遅れて技術が伝わった南方でなぜ先に土器が使用されるようになったのでしょうか。
それは生活スタイル、さらにはその背後の気候変化が要因です。
土器は重くて運びづらいので、長い距離を運搬するには向いていません。
たとえば狩猟民族は獲物を追って移住を繰り返します。そうした人々にとって土器は重くて使いづらいものなのです。
土器が普及するには、一つの地域に定住して、土器を持ち運ばなくて済むような生活スタイルが必要でした。そして、一つの地域で食糧を生産し続けるには農業が必要です。
縄文時代初期は気温が低く、日本列島は農業に適した気候ではなかったのですが、気候の温暖化により日本列島の南方から農業に適した気候へと変化していきました。
結果、土器の生産技術があり、なおかつ定住生活が可能になった最初の地域は九州南部でした。
このことにより土器が南方から普及していくことになったのです。
技術があっても環境が整っていなければ普及しない、というのは現代にも通じる話ですね。
現代風にいえば、ニーズがあってはじめて技術が人々の役に立つ、というわけです。
縄文時代後期、東日本で人口が激減した
縄文時代後期、東日本で人口が激減しました。青森県の三内丸山遺跡周辺ではシカやイノシシを捕り尽くしてしまったらしく、ウサギやムササビのような小動物ばかりが食べられていたようです。
また、東日本各地では従来は調理が楽なクリが食べられていたのですが、縄文時代の後期になると手間のかかるトチの実の調理の痕跡が多く出土しています。トチの実を多く食べるようになった理由は分かりませんが、クリの林を増やしていけば食料が豊かになるという恵まれた状況に行き詰まりが訪れたと見られています。
縄文時代は歴史の縮図と謎が魅力
縄文時代は、人口や文化の面で常に右肩上がりだったわけではありません。東日本の人口減少の件以外にも、興隆と衰退があります。
また、文字や絵といった資料がなく謎が多い点で想像をかきたてられます。
本書はわずか95ページのなかにここまでで触れた以外の様々なトピックを濃縮しています。
さまざまな時期、さまざまな地域の縄文時代の実像が見えてきます。
中学や高校の日本史教科書よりも一歩詳しい内容を知ることができる入門書として良書といえます。
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